
「ユニバーサルデザイン」という言葉が最近よく使われるようになっています。「ユニバーサル(universal)」とは、万人に通じる、とか普遍的な、とか全員に共通する、などといった意味です。従来よく使われていた「バリアフリー」とどう違うのでしょうか。
アメリカの建築家で自ら車椅子生活を送っていたロン・メイスという人は、身障者用にデザインされたものが、種類も限られ、価格も高いという現実をなんとか変えたいと思っていたそうです。そこで、「改善または特殊化された設計なしで、最大限可能な限り、すべての人々に利用しやすい環境と製品のデザイン。または、製品、建物、環境をあらゆる人が利用できるようにはじめから考えてデザインするという概念」である、ユニバーサルデザインを提唱しました。
事故や病気、高齢によって身体が不自由になると、それまで当たり前にできていたことができなくなります。歩く、食べる、排泄をする、入浴する、そういったことができなくなると、人はその日から生活に困る事になります。
少し前、高齢化が話題になり始めた頃、介護をする家族が家のリフォームをしたり、公共の施設が身体障害者の方に使いやすいように建物の段差をなくす工事をするなど、「バリアフリー化」が各地で行われました。それは非常に素晴らしいことなのですが、一度完成しているものに手を加えるとなると、大変なコストがかかることになります。場合によっては、バリアフリーにしたくても、もともとの設計の関係で、不可能なこともあるでしょう。
今も各地の駅構内などでは、エレベーターやエスカレーターの設置工事を行っていると思います。東京のJRお茶の水駅は、周辺に多くの大病院があるにもかかわらず、駅構内にエレベーターやエスカレーターがなく、患者さんにとっては「魔の駅」だったと聞いたことがあります。
そのようなところにエレベーターができれば、病気の方はもとより、お年寄りやベビーカーを押している方も助かることでしょう。しかし、元々ないところにエレベーターを設置するのですから、大変なコストがかかる上、利用者にとっても工事中は不便この上ないことになります。エレベーターを設置できる場所も限られており、「なんでこんなところにエレベーターが?」と思うような不便なところに設置されることもあります。
誰しも、今は元気であってもいつなんどき、事故や病気で身体障害を背負う事になるかわかりませんし、老いはもちろん誰にでもやってきます。
そう考えると、駅をつくるにも、最初からお年寄りや障害者のことを考えてトイレも障害者対応に、エスカレーターもエレベーターも設置しておいた方が、設計も美しくできるし、コストも割安ですむのではないでしょうか。
最近では、ユニバーサルデザインによる建設が少しずつ導入されており、エレベーターは車椅子対応のものが設置されています。多くのビルのトイレに、最初から身障者対応になった個室がついています。このような設計は、身障者の方が利用する予定がなくても最初から建設の際のデザインに取り入れてあったために、将来身障者の方が利用することになったとして、その際にわざわざその方のためだけにデザインしなおし、リフォームするよりはずっとコストが低くて済むし、デザイン的にもしっくりきます。
ほかにも、ちょっとした段差であっても、車椅子の方や足の不自由な人には不便なことがあります。だから、最初から段差をつくらないようなデザインになっていたりします。これも、障害者はもちろん、健常者にとっても助かる工夫です。健常者であっても、床の段差や電気のコードなどにつまずくことはよくあるからです。
また、文房具メーカーも、健常者も身体の不自由な人も一緒に使える、ユニバーサルデザインのおしゃれな文房具を開発しています。健常者にとってなんらマイナスがなく、身障者の人も人生を楽しむことができる、そこがユニバーサルデザインの斬新なところです。
全人口に比較すれば、身障者やお年寄りの数は少ないのですが、それらの人を基準にすれば、ほかの多くの人にとって暮らしやすい社会になります。
この、ユニバーサルデザインに、化学物質の使用量を人の中で最も感受性の高い「胎児」を基準にしよう、という概念を取り入れたのが、「環境ユニバーサルデザイン」です。これは、ケミレスタウン・プロジェクトの主催者である森千里・千葉大学大学院教授と、戸高恵美子・千葉大学環境健康フィールド科学センター助教とで考えた概念です。
化学物質に対する感受性は、個人差も非常に大きいですが、成人よりも成長期にある子供、さらに母親の胎内にいる時期は感受性がもっとも高いのです。現在の毒性学は、「体重50キログラムの成人」を基準としています。体重50キログラムの成人、とは、すでに成長は止まり、心身ともに完成した状態です。人の一生の中でもっとも強い時期とも言えます。
このような強い状態にある人を基準にして化学物質の使用基準をつくっても、これでは弱い人は守れません。成人でも感受性の高い人、成長期にある子供、胎児を守るには、人生の中でもっとも弱い時期、「胎児期」を基準に化学物質の使用基準を設け、社会作りをすることが重要です。
胎児期に環境中の汚染物質にさらされたために先天異常を背負うことになったり、アレルギー症状を発症したりする人たちのケアをするためにかけるコストは、最初から胎児期、小児期に不必要な暴露をしないような環境にしておいて先天異常やアレルギーの発症を予防するコストに比べると莫大に大きなものになってしまいます。
アレルギーの原因はさまざまであり、化学物質のみにその原因を求めるわけにはいきませんが、過去十数年で小児のアレルギーが急増し、現在小学生の35%程度に何らかのアレルギーが見られる事を考えると、何らかの環境の変化、住宅の機密性が向上したために室内での濃度が増加した化学物質にもその原因の一部があるのではないでしょうか。
全人口の中では、これらの弱い人たちはわずかです。しかし、最初からこのような弱い人を基準にした街づくりをしておけば、さまざまな疾患を発症した患者に対して医療費を使うよりも結局安上がり、ということになります。また、化学物質に対する感受性が今は高くない、という人も、いつ、花粉症のように発症するかわかりません。あるいは、すでに何らかの化学物質による症状を発症しているのに、自分では気が付いていないだけかもしれません。
人のライフステージの中でもっとも感受性の高い胎児期にあわせて環境もユニバーサルデザインすることで、現世代のすべての人、そして未来の世代の人にとっても健全な社会が可能になるのではないでしょうか。
上記の内容は、森・戸高共著の『へその緒が語る体内汚染』に詳しく紹介しています。